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【主郭跡】 |
【歴 史】堂洞城は、蜂屋の城主の岸勘解由信周の立てこもった城である。「堂洞戦記」によると稲葉山城の背後を守り東美濃で抜きに出た武将である長井隼人(関城主)、佐藤紀伊守(加治田城主)、岸勘解由(堂洞城主)は、信長が小牧山に築城する頃に、反信長の盟約を結び侵攻に備えたが、佐藤紀伊守は秘かに信長と通じていました。永禄8年(1565)、信長が堂洞城を目指して進軍すると、堂洞城の岸勢は健闘しますが、最後は城に火を放たれ落城しました。『本文は堂洞城リーフレットを参照』
国道418号線中蜂屋交差点脇に「堂洞城入口」の碑があります。城址の周辺はかなり細い舗装道路となっていますが、途中にある給水タンク脇に車を止めることができます。給水タンクと道を挟んだ山側に登城口があります。私有地であるため史跡整備はあまりなされていません。初めて訪れる方は、町役場や郷土資料館等で登城口を確認してから、登城することをお勧めします。 |
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