岐阜城 日本100名城  美濃国における国盗りの舞台

【岐阜城復興(模擬)天守閣】
【歴 史】岐阜城は、かつて、稲葉山城と称していました。金華山頂に最初城を築いたのは、鎌倉幕府の執事二階堂山城守行政で、戦国時代には斎藤道三の居城であったところです。特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄十年(1567年)八月、不世出の英傑織田信長がこの城を攻略し、この地方一帯を平定するとともに、その地名も「井の口」を岐阜と改め大胆な構想のもとに善政を施し、天下統一の策源地としてからでした。しかし慶長五年(1600年)九月、関ヶ原合戦の際、信長の孫秀信が西軍に味方したため東軍に攻め入られ、激戦の末落城しました。翌慶長六年、岐阜城は廃城となり天守閣、櫓等は加納城に移されました。かつて「バビロンの繁栄」と讃えられたその眺望を現在でも天守最上階から見下ろすことができます。おそらく眺望においては日本の城郭の中でも1、2を争うほどの見事さだと思います。金華山麓には信長の居館跡も整備されており、何度でも訪れたい城郭のひとつです。

■場所:岐阜市明神洞 ■築城主:二階堂行政
■別名:稲葉山城 ■城形式:山城
■築城年:建仁元年(1201) ■城遺構:曲輪・堀切・竪堀・土塁・石垣・模擬天守・模擬櫓

山麓の居館跡

【居館跡の模擬冠木門】

【居館跡 館入口】

【居館跡 発掘され下層遺構】

【居館跡 水路】

【山麓の井戸跡】
 
山城の城郭遺構

【伝 一の門跡】

【伝 馬場跡】

【伝 二の門跡】

【主郭部の堀切(切通)跡】

【上台所跡下の井戸跡】

【主郭部の井戸跡】

【主郭部の石積み跡】

【天守閣からの眺望】

【愛知県側から見た岐阜城(江南市)】