揖斐城 揖斐郡における土岐一族の中心拠点

【伝 本丸跡の城址碑】
【歴 史】揖斐城は興国4年(1343)に土岐頼清の息、土岐頼雄が築いて揖斐氏を名乗ることに始まるとされる。天授6年(1380)、頼雄は揖斐で没し、その後、詮頼・友雄・基春・基信と代々揖斐氏の居城となった。基信の時、美濃国守護土岐政房の子光親を養子として迎えている。天文16年(1547)、斎藤道三は大桑城の土岐氏を攻めた後、続いて光親の守る揖斐城を攻撃して落城させた。光親は退去し、揖斐城は廃城になったとされる。
『「岐阜県中世城館調査報告書第1集」(岐阜県教育委員会 2002年)より本文抜粋』

城址は公園化されていますが、遺構は見やすく整備されています。西美濃地域を代表する山城のひとつですが、菩提山城や松尾山城と比べ、短時間で色々な遺構が楽しめる初心者に優しい城址だと思います。

■場所:岐阜県揖斐郡揖斐川町極楽寺・大光寺・三輪・上南方 ■築城主:土岐氏
■別名: ■城形式:山城
■築城年:康永2年・興国4年(1343) ■城遺構:曲輪・土塁・虎口・堀切・土橋・井戸


【本丸跡の桝形虎口】

【本丸〜二の丸間の土橋】

【伝 二の丸跡の切岸】

【伝 三の丸跡】

【伝 南の丸跡】

【井戸跡】

【伝 北の丸跡】

【搦手側の堀切と土橋跡】

【伝 出丸跡】