揖斐北方城 揖斐郡にも存在する北方城

【城山さくら公園に立つ城址碑】
【歴 史】建武延元の頃、吉田休三入道ここに城を築きしと伝う。建武三年後醍醐天皇叡山に行幸せられ叡山を以って南朝の策源地とせられた。越前金崎城が陥ると新田氏の一族堀口美濃守貞満は根尾谷に退き根尾城主根尾入道貞氏、岐礼の豪族山本貞元、北方城主吉田休三入道、長峯城主山岸新左衛門光頼等に相呼応して北朝に抗し、美濃の土岐氏と戦ったことは、谷汲の戦下、長瀬の戦揖斐野合合戦、池戸、下狩宇、上狩宇の合戦等に見えている。
『現地案内看板より本文抜粋』

城内は公園化されているため、曲輪跡と思われる削平地以外は、遺構らしいものがありません。高所にあるだけあり眺望は開けています。

■場所:岐阜県揖斐郡揖斐川町北方 ■築城主:吉田休三入道
■別名: ■城形式:山城
■築城年:建武延元の頃 ■城遺構:曲輪