帰雲城 天正の大地震により埋没した城

【伝 帰雲城址】
【歴 史】内ヶ嶋将監為氏が足利義政の命を奉じ寛正の初頃に牧戸城を築き、その後帰雲城を築城したと云われています。内ヶ嶋氏は白川郷一帯のほか高山の近くまでと現在の富山県栃波郡川上村までもを領地とし、今から五百年程前に三代(又は四代)に渡って栄えました。しかし天正十三年(1585)十一月に起きた大地震による帰雲山の山崩れ(山津波)により、帰雲城及び城下の382戸が一瞬にして土砂の下敷きになってしまいました。これが日本のポンペイと呼ばれる所以です。内ヶ嶋領内には金銀の採掘場があったため、近年になって埋蔵金伝説が作り上げられましたが、真意の程は発掘してみないとわかりません。なお帰雲城のあった場所についてははっきりと特定するのが難しいそうです。

■場所:大野郡白川村 ■築城主:内ヶ島為氏
■別名: ■城形式:山城か
■築城年:寛正初頃 ■城遺構:なし