加治田城 中濃三城のひとつ 佐藤氏の居城

【山頂の主郭跡】
【歴 史】加治田城は戦国時代は却敵城とも呼ばれていました。織田信長の侵攻に備え、斎藤方である関城主長井道利を盟主として、堂洞城主の岸信周、加治田城主の佐藤忠能は反信長の盟約を結んでいました。犬山城を攻略した信長は、永禄8年(1565)木曽川を渡り鵜沼城、猿啄城を攻め落とし、岸氏が守る堂洞城へと進軍してきました。この時、信長方に寝返った加治田城の軍勢が北面の加治田から攻め入り、堂洞城は落城しました。佐藤忠能は堂洞城落城後には信長家臣の斎藤新五と共に、関城主長井道利の反撃を衣丸で迎え撃ち、翌日に関城も落城しました。中濃三城の陥落後、信長の命により斎藤新五が佐藤忠能の養子となり加治田城主を継ぎました。その後の加治田城は天正10年(1582)の加治田兼山合戦をしのぎましたが、森長可の領地となり廃城となりました。『本文は現地案内看板を参照』
登山道として林道が整備されており、比較的訪れやすい山城です。山頂からは猿啄城の他、遠くに日本モンキーパーク、小牧山、名古屋市街などを眺めることができます。

■場所:加茂郡富加町加治田 ■築城主:不明
■別名:古城山城、却敵城 ■城形式:山城
■築城年:不明 ■城遺構:曲輪・横堀・竪堀・石垣・虎口


【主郭東側下曲輪の石垣】

【主郭東側下曲輪の虎口石垣】

【主郭西側の虎口】

【主郭からの眺望 右の山が猿啄城・遠くに名古屋高層ビル群