川手城 美濃国守護所のひとつ

【川手城址に建つ模擬天守】
【歴 史】美濃第3代守護職土岐頼康は、足利尊氏の命により信州・豫洲を平定、その軍功により美濃・尾張・伊勢の3カ国の守護職となる。長森城は所狭きをもって1353年6月、現岐阜市下川手に革手城を築きこれに移った。この城は、旧木曽川と現荒田川を改修し天然の地の利を生かした広大な城地で、七堂伽藍をもつ霊薬山正法寺・源氏の守護神八幡神社をはじめ、神社仏閣、数多くの平屋建築、城郭というより御殿風(都風)の建物だったと推察される。以後、川手城は11代まで歴代の守護職の拠城となる。斎藤道三が岐阜城に本拠をもち川手城は廃城となる。その上、徳川家康は加納城築城に土砂まで使用し、革手城は跡形もなくなった。『現地案内看板参照』
土岐氏として最大の勢力を誇った時期の守護所跡ですが、現在は、済美高校の一角に石碑が建てられているのみで、周囲に城跡の遺構を確認することはできません。

■場所:岐阜市正法寺町 ■築城主:土岐頼康
■別名:革手府、革手城 ■城形式:平城
■築城年:文和二年(1353) ■城遺構:なし