黒野城 土塁と堀に囲まれた平城

【黒野城の水掘と築堤跡】
【歴 史】黒野城跡は加藤氏の居城で、7面積17.523u、本丸築堤の高さは5.4mあり、その周囲の濠は水をたたえて昔の面影をよく残しています。西南の入口付近には今でも城門の礎石があり、周辺には惣門口、木戸、二之丸、井之上、徳田屋敷などの地名が残っています。加藤光泰は、始め斎藤龍興に仕えていましたが、斎藤氏滅亡後は織田・豊臣氏に仕え甲斐国甲府城主として、24万石を領したが朝鮮の陣中で没しました。その子貞泰は幼なかったため領地を減封され、文禄3年(1594)甲府城より黒野城に移って4万石を領した。関ヶ原合戦には東軍に属し、慶長15年(1610)まで15年間、居城としていたが同年伯耆国米子6万石に移封となり、黒野藩は短期間で終わりました。『本文は現地案内看板を参照』
 岐阜県でも数少ない平城であり、周囲を土塁と堀で囲まれた縄張は県内でも屈指の名城だと思います。

■場所:岐阜市黒野 ■築城主:加藤貞泰
■別名: ■城形式:平城
■築城年:文禄3年(1594) ■城遺構:曲輪・土塁・堀・櫓台・土橋・虎口・礎石


【本丸の築堤跡】

【黒野城址碑】