【増島城に残る天守台石垣】 |
【歴 史】天正13年(1585)羽柴秀吉の命により飛騨一国を平定し、高山領主となった金森長近は、養子可重に南吉城1万石を与え、増島城を築き、城下町の経営に当たらせました。その後可重は2代目領主となって高山城に移りましたが、元和元年(1615)の一国一城令で増島城の城名を捨て、古川旅館と改称し、家臣を留守居としました。元禄5年(1692)金森氏が出羽国上山に国替えされ、同8年に加賀藩幕命を受けて城塁を破却しました。
城址は現在、古川小学校となっていますが、当時の天守台は御蔵稲荷神社として現存しています。 |
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