松倉城 飛騨の支配者三木氏の夏の居城

【松倉城本丸下の石垣】
【歴 史】松倉城は三木良頼、自綱によって、永禄年間(1558〜)から天正年間(1573〜)にかけて築城されました。三木氏は白川郷を除く一円を支配し、萩原の桜洞城を冬城に、松倉城を夏城としていました。山城ながら山上の本丸に矢倉、城門を置き、標高856.7m比高360mの松倉山上に巨石を使って、堅固な石垣を築き上げ、戦国末期の山城から一歩前進した雄大な縄張を持っています。天正13年(1585)金森長近、可重父子に攻められて落城し、以後は廃城となりました。
飛騨国において石垣を使用した城郭はとても珍しく、現在に残る松倉城の石垣群は織豊系城郭の雰囲気を色濃く残しているため、山頂の石垣を築いたのは三木氏ではなく、金森長近であるという説が有力です。険しい山城でありながらこれ程の石垣を有している城郭は
付近には見あたらず、飛騨随一の城郭であるといっても良いでしょう。

■場所:高山市西之一色町 ■築城主:三木良頼
■別名: ■城形式:山城
■築城年:永禄〜天正年間(1558〜1573) ■城遺構:石垣・曲輪・堀切・竪堀・虎口


【松倉城三の丸の石垣】

【松倉城大手虎口】

【松倉城大手門跡】

【松倉城二の丸の井戸跡】

【松倉城二の丸跡】

【松倉城搦手門跡】