松尾山城 関ケ原合戦 小早川秀秋による裏切りの舞台

【主郭の桝形虎口】
【歴 史】応永年間(1394〜1428)小守護富島氏が城を築いたのが史料の初見である。元亀元年(1570)浅井長政が修築したが、天正元年(1573)織田信長の浅井氏討伐後不破光治を警備に当たらせた。天正7年(1579)廃城となった。慶長5年(1600)関ケ原合戦時に小早川秀秋が陣所とした。

松尾山城は関ケ原合戦時に西軍として参加した小早川秀秋が陣を構えた場所というイメージが強いですが、関ケ原合戦前の書状によると、本来は中国衆(毛利輝元)の本陣とする目的で、大垣城主伊藤盛正に命じて新城を築いていたところ、合戦前日に小早川家の家臣稲葉正成が兵を率いて松尾山に入り、在城していた伊藤盛正を追い払って占拠してしまったというのが真相のようです。そのため松尾山城ではかなり技巧的な城郭遺構を見ることができます。また主郭は関ケ原合戦場を眺めることができるビュースポットとなっています。

■場所:不破郡関ケ原町松尾 ■築城主:浅井氏
■別名: ■城形式:山城
■築城年:元亀元年(1570)頃 ■城遺構:曲輪・桝形虎口・土塁・堀切・竪堀・井戸


【主郭】

【主郭を取り巻く土塁】

【曲輪Uの土塁】

【曲輪Uの馬出状虎口】

【曲輪Uの竪堀】

【曲輪Vの土塁】

【曲輪Xの喰違い土塁】

【曲輪Zの喰違い竪堀】

【主郭からの関ケ原眺望】