小倉山城 金森長近の隠居城

【小倉山城模擬櫓】
【歴 史】小倉山城の歴史は周辺の城址に比べ比較的新しく、飛騨高山城主であった金森長近が慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で東軍に属し、戦後恩賞として飛騨3万8千石の安堵に加えて美濃国上有知・関、河内国金田で2万3千石の加増を受けたことに始まります。慶長6年(1601)、長近は高山城を養子である可重いに譲り、自らは新領の美濃国上有知に館の築造を行い隠居所としました。尾崎丸山を小倉山に改称したのも長近です。その後小倉山城を分与された実子の長光が慶長16年(1611)に没したことにより、上有知領は幕府預かりとなり、小倉山城も廃城となりました。現在は現存の石垣の上に城郭風の建物が建てられています。

■場所:美濃市小倉山 ■築城主:金森長近
■別名: ■城形式:平山城
■築城年:慶長6年(1601) ■城遺構:曲輪・竪堀・石垣・模擬櫓


【本丸の石垣】

【山上の展望台】