大垣城 関ヶ原合戦の西軍の拠点

【大垣城復興天守閣】
【歴 史】大垣城は、今から460年程前(天文4年)宮川安定が築城した(明応9年竹腰尚綱の築城とも伝えられる)といわれ、水門川の流れを外堀に利用して造られた規模の小さな城でした。天正13年、豊臣秀吉は一柳直末を城主として天守閣の造営を命じ天正16年になって完成、それ以来400余年の間、この天守閣は四層四階建て総塗りごめ様式で大変優美な城として名高く、歴史の上からも貴重な城でありました。関ヶ原合戦では石田三成率いる西軍の本拠となったことでも有名な城郭です。昭和11年には国宝に指定されながらも戦災のため焼失してしまいました。現在、復興天守閣の中は資料館となっており、関ヶ原合戦等の資料を見ることができます。平成22年に天守閣の改修が行われ、窓幅など、より当時に近い姿に生まれ変わりました。

■場所:大垣市郭町 ■築城主:宮川安定
■別名: ■城形式:平城
■築城年:天文四年(1535) ■城遺構:


【大垣藩主 戸田氏鉄像】

【乾隅櫓(復興)】

【艮隅櫓(復興)】

【大垣城旧鉄門(鵜沼宿に移築現存)】

【大垣城東門(旧柳口門を移築)】

【水之手門跡】