小島城 三国守護 土岐頼康の居城

【小島城址の竪堀】
【歴 史】当城は築城年不詳。正和年間(1312〜1316)頃より20余年間は南朝方に属したる。西尾右京亮、堀部太郎兵衛尉在城、延元2年(1337)以降元中7年(1390)迄の50余年間は北朝方に属し土岐氏の居城となった。延元2年(1337)10月26日、西尾氏等敗れて西国に遁れる。堀部氏捕えらる。而して落城と共に攻撃軍の領将たる土岐頼康の居城となる。頼康同城を改築し、益々要害堅固なる城となす。
『現地案内看板より本文抜粋』

城内に多くの小郭群を雛壇上に配置している形状は、六角氏の観音寺城や土岐氏の大桑城のような守護クラスの居城をイメージさせます。美濃・尾張・伊勢の守護を務めた土岐頼康の居城と伝えられるにふさわしく、岐阜県の山深い渓谷の中にありながら、比較的大規模な城域を有しているのには驚きです。

■場所:揖斐郡揖斐川町春日六合 ■築城主:不明
■別名: ■城形式:山城
■築城年:建武年間以前 ■城遺構:曲輪・竪堀・堀切・土橋・虎口


【小曲輪跡】

【小曲輪跡】

【中腹の主要曲輪跡】