【鷺山城址】 |
【歴 史】長良川北の東西200m・南北500mの独立丘である鷺山は、標高68mの小丘であるが、東山道が北の山の麓を横切り、南に長良川を控えるこの要地は古く『美濃明細記』には鎌倉時代に佐竹常陸介秀義が居住したとある。戦国期に入ると最後の美濃守護となった土岐頼芸が一時居城とした。天文17年(1548)、斎藤規秀は稲葉山城を子の義竜に譲り、自らは鷺山城に隠居し道三と号した。弘治元年(1555)義竜は道三が自分の代わりに跡を継がせようとした2人の弟を殺し、道三は山県郡北野城の鷲見氏の城に逃れた。翌年再び道三と義竜の軍は長良川で戦ったが、崇福寺の門前で、道三は討死にした。道三の死後、鷺山城は廃城となった。 『現地案内看板参照』
近年の研究により、斎藤道三をめぐる歴史の通説が大きく見直されてきています。鷺山城と道三との関連についても説明看板に記された内容と異なるかもしれません。 |
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