篠脇城 放射状竪堀の代表格の城

【篠脇城址の竪堀跡】
【歴 史】篠脇城は鎌倉時代末期に郡上郡山田の庄の地頭であった下野守東氏村から同じく下野守常慶まで8代二百数十年東氏の居城とした所です。東氏は代々歌道に優れ、中でも9代常縁は高名な歌人で古今集研究の第一人者でした。彼は連歌師・宗祇にその奥義を伝授したことで知られ、「古今伝授」の祖と言われています。常縁が関東へ出陣中の応仁2年(1468)美濃国守護代斎藤妙椿の急襲を受け落城しましたが、常縁が妙椿に和歌十首を送り、感動した妙椿から城を返されたという話が伝えられています。天文9年(1540)越前の朝倉勢が来襲したとき、城主常慶は篠脇城で敵の大軍を迎撃して敗退させましたが、その翌年に八幡赤谷山へ居城を移しました。
篠脇城は岐阜県を代表する放射状竪堀群が見られる山城として有名です。本丸を中心として放射状に30余程の竪堀が設けられている様は別名「臼の目堀」と言われ、岐阜県博物館に模型が展示されています。城址の麓では東氏館跡庭園が発掘されており、国指定史跡として東氏の文化的水準の高さを示す史跡として整備されています。

■場所:郡上市大和町牧 ■築城主:東氏村
■別名: ■城形式:山城
■築城年:正和元年(1312) ■城遺構:曲輪・空堀・竪堀・堀切・土塁・土橋


【篠脇城本丸跡の土塁】

【山麓の東氏館庭園跡】