曽根城 西美濃三人衆 稲葉一鉄の居城

【曽根城本丸跡】
【歴 史】曽根城は揖斐川の支流平野井川の湾曲部を利用して築かれた平城です。創建は室町時代末期に稲葉通富によってなされたと言われ、以後稲葉氏の勢力拡大の拠点となりました。中でも稲葉良通(一鉄)は、西美濃三人衆にも数えられるほどの優れた武将で、織田信長・豊臣秀吉に仕えて数々の戦功をたてました。天正16年(1588)西尾光教が稲葉氏に替わって曽根城主になりましたが、関ヶ原合戦後揖斐城に移り曽根城は廃城となりました。その後、城跡は開墾され田畑となっていましたが、一鉄が生母の菩提を弔うために建てた華渓寺が、享保19年(1734)に現在の場所(本丸跡)に移築されました
『現地案内看板参照』

■場所:大垣市曽根町 ■築城主:稲葉通富
■別名: ■城形式:平城
■築城年:室町時代末期 ■城遺構:地上復元石垣、土塁、曲輪、堀


【曽根城 発掘石垣の地上復元】