【伝 竹ヶ鼻城本丸址の碑】 |
【歴 史】竹ヶ鼻城は「美濃古城史」によると、応仁年間に竹腰伊豆守が築城したとある。天正9年(1581)城主不破源六は、一時荒廃していた城を拡大し、城の鬼門の守護神として八剣神社を遷座し、菩提所本党寺を創立した。同12年5月、小牧・長久手の戦いで、羽柴秀吉の水攻めにあい1ヶ月後に開城した。最後の城主杉浦五左衛門は、織田信秀の旗下にあり、慶長5年(1600)8月、関ヶ原の戦いで東軍の攻撃を受け、自害して城は炎上し、廃城となった。
『現地案内看板より本文抜粋』
岐阜県西部の城址は平城が多く、遺構の残存度も良くありません。ここ竹ヶ鼻城も例外ではなく本丸の碑も、推定地として建てられています。 |
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