和知城 木曽川の断崖に守られた城

【主郭と二の丸を隔てる空堀】
【歴 史】天正18年(1590)、安八郡西保城の城主であった稲葉方通が、この地に築城、和知城(通称稲葉城)と称した。その後方通は、関ケ原合戦に東軍に所属して功を立て、和知、野上、上牧野、細目、久田見の采地4,431石を賜った。和知城跡は、半島型に木曽川に突出し、東南は木曽川の断崖と深い渓流で、天然の要塞を形成している。『現地案内看板より本文抜粋』

和知城址は別称を稲葉城といいます。現在の城址は稲葉城公園として大変綺麗に整備されています。ちなみ説明看板には別称である稲葉城で表記されています。特に主郭と二の丸を区画している大きな空堀と主郭に設置された展望台から眺める木曽川は見ごたえがあり、また主郭からは美濃金山城の遠景を眺めることができます。

■場所:加茂郡八百津町野上 ■築城主:稲葉方通
■別名:稲葉城 ■城形式:平城(断崖城)
■築城年:天正18年(1590) ■城遺構:曲輪・空堀・井戸・石垣


【主郭跡】

【二の丸の土塁跡】

【復元された井戸跡】