米田城 米田富士の山頂につくられた子城 |

【主郭下の横堀と土塁跡】 |
【歴 史】標高268mの愛宕山にあった米田城は、山麓に本城が設置され山頂には物見櫓程度の支城があった。築城は永正2年(1505)で、初代城主は肥田兵部少輔軌吉であり、玄蕃允軌休の父にあたる。しかし築城以前にも既に小規模の城塞はあったと思考される。天正10年(1582)6月に米田城は金山城主森長可の急襲にあって落城し、肥田一族は加治田城に逃れ、以後この城は廃城となった。
『本文は現地案内看板を参照』
城跡のある愛宕山は別名「米田富士」と呼ばれる裾野の形がきれいな山です。山頂の愛宕神社に登る道中からは眼下に広がる飛騨川の絶景を楽しむことができます。 |
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■場所:加茂郡川辺町福島 |
■築城主:肥田軌吉 |
■別名:愛宕山城 |
■城形式:山城 |
■築城年:永正2年(1505) |
■城遺構:曲輪、横堀、竪堀、土塁、石垣 |
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【主郭跡(愛宕神社)】 |

【主郭跡の切岸(石垣の痕跡)】 |

【主郭下の腰郭跡】 |

【主郭下北側の堀切跡】 |

【加茂神社(中腹の大削平地)】 |

【登城道の馬留石】 |
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