慶長20年(1615)
一国一城令で存続を許された岐阜県の城
(美濃5城、飛騨1城)

<加納城> 一国一城令当時の藩主:松平[奥平]忠隆(第3代藩主)
加納城は徳川家康の天下普請によって築かれた城のひとつ。初代藩主は徳川家康の娘婿である奥平信昌である。一国一城令が出された当時の藩主は奥平家3代目の忠隆。奥平家の後は大久保家→松平[戸田]家→安藤家→永井家と代々譜代大名の領する城となる。
現在の加納城は本丸跡が公園として整備されている。観光地という点では近隣に岐阜城があるためスポットが当たりにくく、専ら市民公園としての性格が強い。一国一城令で残った県内の城の中では、最も観光地化されておらず、視覚で楽しめる要素は他の6城と比べると少ない。


<大垣城> 一国一城令当時の藩主:石川忠総(第3代藩主)
大垣城は関ヶ原の合戦の折に西軍の本拠となったことで有名な城。初代藩主は石川数正の従兄の石川康通である。一国一城令が出された当時の藩主は石川家3代目の忠総。石川家の後は松平[久松]家→岡部家→松平[久松]家→戸田家と代々譜代や親藩大名の領する城となる。
大垣城は先の戦争まで天守閣が現存し、国宝にも指定されていたが、惜しくも戦争で焼失してしまった。戦後、天守等が復興され現在に至るが、大垣城の特徴であった水堀は外堀の一部を残すのみとなっている。全国的にも珍しく四層の天守閣という特徴的な構造をもつ。

<八幡城> 一国一城令当時の藩主:遠藤慶隆(初代藩主)
八幡城は奥美濃の名門東氏の一族である遠藤氏が東氏を滅ぼした後に築いた城。初代藩主は築城主である遠藤盛数の子、遠藤慶隆である。一国一城令が出された当時の藩主も遠藤家初代藩主の慶隆。遠藤家の後は井上家→金森家→青山家と譜代や外様大名の領主する城となる。
現在の八幡城には、昭和8年に旧大垣城を参考に築かれた木造の天守閣が立てられている。史実では存在しなかった模擬天守閣であるが、築城から80年も経過しているため、自然と郡上八幡の町に溶け込んでおり、あたかも江戸時代からその場所に建てられていたような雰囲気を醸し出しているのが特徴的である。

<岩村城> 一国一城令当時の藩主:松平乗寿(第2代藩主)
岩村城はかつて武田氏と織田氏が激しい攻防戦を繰り広げた城であり、、織田信長の叔母が一時期、女城主として在城した城。初代藩主は松平[大給]家乗である。一国一城令が出された当時の藩主は松平[大給]家2代目の乗寿。松平[大給]家の後は丹羽家→松平[大給]家と代々譜代大名が領する城となる。
現在の岩村城は、近世三大山城や日本百名城といった肩書を持ち、岐阜県を代表する山城として全国的にもその名が知られている。県史跡であるが、城内は私有地が入り混じっているため、必要以上の史跡整備が難しい状況でもある。

<苗木城> 一国一城令当時の藩主:遠山友政(初代藩主)
苗木城は中世以来の領主であった遠山氏が1万石という身分でありながらも城を構えることを許された全国でも稀な城。初代藩主は遠山友政である。一国一城令が出された当時の藩主も遠山家初代藩主の友政。遠山家は江戸時代において一度も転封されることなく苗木城を本拠城とし続けた。
現在の城址は国史跡に指定され、史跡公園としても整備されている。本丸跡から眺める恵那山や木曽川などの眺望が素晴らしく、昨今のお城ブームにおいて、その知名度がかなりの勢いで高まってきている。将来のリニア中央新幹線の展望場所としての観光PRもされている。


<高山城> 一国一城令当時の藩主:金森重頼(第3代藩主)
高山城は飛騨一国を領した金森長近が御殿風の天守を築いた城。初代藩主は金森長近である。一国一城令が出された当時の藩主は金森家3代目重頼。金森家が出羽上ノ山に転封後は江戸時代を通して天領となった。
現在の城址は公園化されているが、高所にありながら展望所としての機能が今ひとつのためか、県内屈指の観光地であるにもかかわらず城下と比べると、本丸まで訪れる観光客は思いのほか少ない。桜と紅葉の時期が最も賑わいを見せる。