広島県の百名城・続百名城
福山城 100名城(最終訪城日:令和5年1月21日) |
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復興 天守閣(北面は鉄板張り) |
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福山城は、元和5年(1619)福島正則の改易により備後10万石の領主として入封した水野勝成が、3年の歳月を費やし構築した近世城郭である。低い丘陵を利用した平山城で、東・南・西に二重の堀をめぐらし、北には吉津川を通し、小丸山・天神山を天然の防塁とした。城地には、そそりたつ石垣をはじめ重要文化財の伏見櫓、筋鉄御門、市重要文化財の鐘櫓などがあり、昔日の姿をとどめている。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
広島城 100名城(最終訪城日:平成27年8月23日) |
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復興 天守閣 |
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【歴史】毛利氏は、南北朝時代から郡山城を居城とする一領主でしたが、元就の代に中国地方の大半を支配する戦国大名に成長しました。後を継いだ孫の輝元は、豊臣秀吉の聚楽邸・大坂城を見物し、城下町と一体化して政治・経済の中心地として機能する城郭の必要性を痛感しました。こうして瀬戸内海に面する太田川河口の三角州に城地を定め、天正17年(1589)鍬入式を行いました。築城工事は穂田元清・二宮就辰を普請奉行として急ピッチで進められ、天正18年末には堀と城塁が一応完成し、翌年、輝元は入城を果たしました。慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、輝元に代わって安芸・備後二ヶ国の領主として福島正則が入城し、外堀や外郭の整備を進め広島城を完成させました。 『広島城入城パンフレットより本文抜粋』 |
郡山城 未訪城 100名城(最終訪城日:) |
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三原城 続100名城(最終訪城日:平成27年8月23日) |
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天守台跡 |
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三原城は、瀬戸内海の水軍を掌握していた小早川隆景が、永禄10年(1568)沼田川河口の三原湾に浮かぶ大島・小島をつないで、天正10年(1582)前後と、慶長元年(1596)のころ偉容を整えたといわれる。城は、海に向かって船入りを開き、城郭兼軍港としての機能をそなえた名城で、満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えるところから浮城とも呼ばれた。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
新高山城 未訪城 続100名城(最終訪城日:) |
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