島根県の百名城・続百名城
松江城 100名城(最終訪城日:平成18年11月11日) |
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現存 天守閣 |
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関ヶ原合戦の功により出雲に領国を得た堀尾氏は、尼子氏以来の居城である月山富田城を廃し、海沿いの地に新たに城を築き始めた。松江城は慶長16年(1611)出雲の領主・堀尾茂助吉晴が5年の歳月をかけて完成した城である。城主は堀尾忠晴、京極忠高の後、徳川家康の孫にあたる松平出羽守直政が信州松本から移封され、以来、松平氏10代234年間出雲18万6千石を領しました。 『松江城パンフレットより本文抜粋』 |
月山富田城 100名城(最終訪城日:平成18年11月12日) |
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山中御殿跡 |
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月山富田城は、保元、平治の頃、平氏の部将によって築城されたといわれる。文治元年(1185)佐々木義晴が出雲の守護として入城以来、それ以後塩冶、佐々木、山名、京極、尼子、毛利、堀尾の各氏が歴代城主として交替しているが、最も栄耀栄華をきわめたのは陰陽11ヶ国を領有した尼子の時期である。慶長16年(1611)堀尾吉晴のの没するまで427年に及ぶ間、軍政上の一大拠点であった。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
津和野城 100名城(最終訪城日:平成22年10月31日) |
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本丸人質櫓跡 |
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津和野城の築城は、弘安5年(1282)能登より入部した吉見頼行によって永仁3年(1295)頃よりはじめられ、その子頼直の代の正中元年(1224)まで続いた。慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いの行賞で入城した坂崎直盛は、津和野の町並みを見下ろす比高200mの城山山頂を削平して壮大な石垣を設け、三重の天守を有する近世山城へと大改装した。元和3年(1617)、因幡鹿野から亀井家2代政矩が津和野初代藩主として入城した。亀井氏は津和野藩邸を殿町にあった居館を城の麓に整備するとともに、外壕を整備するなど現在まで残る城下町の形を完成させました。 『現地案内より本文抜粋』 |
浜田城 未訪城 続100名城(最終訪城日:) |
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