鳥取県の百名城・続百名城
鳥取城 未訪城 100名城(最終訪城日:) |
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若桜鬼ヶ城 続100名城(最終訪城日:令和6年5月3日) |
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![]() 二の丸跡と本丸石垣 |
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若桜鬼ヶ城跡は、播磨、但馬へつながる交通の要衝にある。そのため戦国時代において戦国大名である毛利、尼子、織田などによる争奪戦が繰り広げられた。築城時期は不明だが、延徳元年(1489)の史料には「矢部館若狭」の記述があり、矢部氏によってこの頃には城が築かれていた可能性が考えられる。一時、山中鹿之助による尼子氏再興戦の舞台ともなったが、その後、羽柴秀吉による鳥取城攻めの際には織田方の拠点として機能し、天正9年(1581)に鳥取城が落城した後は秀吉の武将木下重賢、関ヶ原の戦後の慶長6年(1601)には山崎家盛が入城している。元和3年(1617)に池田光政が因伯2国を領す鳥取城主となると、一国一城令により廃城となった。『現地案内看板より本文抜粋』 |
米子城 未訪城 続100名城(最終訪城日:) |
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