埼玉県の百名城・続百名城
鉢形城 100名城(最終訪城日:平成26年4月28日) |
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三の曲輪跡 |
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鉢形城は、文明8年(1476)関東管領であった山内上杉氏の家宰長尾景春が築城したと伝えられています。後に、この地域の豪族藤田康邦に入婿した小田原の北条氏康の四男氏邦が整備拡充し、現在の大きさとなりました。天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、後北条氏の重要な支城として、前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され、激しい攻防戦を展開しました。1ヶ月余りにおよぶ籠城の後、北条氏邦は城兵の助命を条件に開城しました。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
川越城 100名城(最終訪城日:平成26年4月29日) |
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現存 本丸御殿 |
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川越城は長禄元年(1457)に太田道真、道灌父子によって築城され、上杉氏6代、北条氏4代の持城でしたが、当時は後の本丸、二の丸を合わせた程度のものでした。江戸時代になって、松平信綱が城地を拡大し、八郭・三櫓、十二門をもつ徳川家の親藩、譜代の大名の居城として有名でした。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
杉山城 続100名城(最終訪城日:平成26年4月28日) |
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本丸遠景 |
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杉山城は室町〜戦国時代の築城と推定される典型的な山城です。急峻な丘陵を巧みに利用して十余の郭を理想的に配しています。当時の社会情勢から判断して、松山城と鉢形城とを連絡する軍事上の重要拠点であったと考えられます。築城年代や城主名等に不明な点も多いが、一説には、松山城主上田氏の家臣杉山主水の居城と伝えられています。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
菅谷館 続100名城(最終訪城日:平成26年4月28日) |
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菅谷館址の碑と土塁 |
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菅谷館は鎌倉時代の有力御家人である畠山重忠が文治2年(1187)までには住居していたといわれる中世の重要な遺跡です。元久2年(1205)、武蔵国二俣川の合戦の際、重忠はこの館から出発したことが『吾妻鏡』に書かれています。現在の遺構は本郭、二ノ郭、三ノ郭などと、それらを防御する土塁、空堀などからなり、このような姿になったのは戦国時代のことと考えられます。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
忍城 未訪城 続100名城(最終訪城日:) |
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