和歌山県の百名城・続百名城

和歌山城
100名城(最終訪城日:平成27年10月12日)
 
■所在地:和歌山県和歌山市一番丁 ■築城年:天正13年(1585)
■別  名:虎伏城、若山城、竹垣城 ■築城主:豊臣秀長

復興 天守群

現存 岡口門

現存 追廻門
和歌山城は天正13年(1585)豊臣秀吉が紀州を統一し、弟秀長の領地としましたが、その際、虎伏山の地を選び自ら縄張りし藤堂高虎等を普請奉行として本丸及び二の丸を築城させたのに始まります。翌14年から秀長の城代、桑山重晴が在城し、若山又は和歌山の城というようになりました。慶長5年(1600)浅野幸長が37万国をもってこの国の領主となり、その後弟長晟がこれを継ぎましたが、この間逐次城郭を整備しました。元和5年(1619)徳川家康の第十子頼宣が55万5千石を領して入城し、以来250余年御三家の一つとして大いに栄えました。 『現地案内看板より本文抜粋』

新宮城
続100名城(最終訪城日:平成27年4月26日)
 
■所在地:和歌山県新宮市新宮字丹鶴 ■築城年:元和4年(1618)     
■別  名:丹鶴城、沖見城 ■築城主:浅野忠吉

出丸跡

本丸跡石垣

水の手跡
新宮城は、関ヶ原合戦の後、和歌山城主となった浅野幸長の家臣・浅野忠吉が新宮領を与えられて、慶長6年(1601)に築城を開始した城である。元和元年(1615)の一国一城令でいったん廃城となるが、同4年、再建を許され、再び築城が始まる。元和5年(1619)、浅野氏に代わり徳川家康の十男頼宣が紀州に入国し、同時に頼宣の付家老として、新宮に水野重仲が入った。重仲は忠吉の築城工事を継続し、寛永10年(1633)、城は完成をみる。以後、明治の廃藩置県により廃城となるまで紀州藩新宮領支配の中枢として機能した。 『現地案内看板より本文抜粋』

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