石川県の百名城・続百名城
七尾城 100名城(最終訪城日:平成18年5月14日) |
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![]() 本丸跡遠景 |
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七尾城は、室町時代能登国の守護であった畠山氏が、歴代居城としたところである。石動山脈の北端、七尾湾が一望できる標高約300mの山頂部を削平して本丸を置き、これを中心として急峻複雑な地形を巧みに利用し、東方に長屋敷、四方及び北方にかけて西の丸、二の丸、三の丸等を構えた規模雄大な山城である天正5年(1577)9月、上杉謙信がこの城を囲んだ際、折からの月明に感嘆して漢詩を詠じたと伝えられる。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
金沢城 100名城(最終訪城日:平成21年1月17日) |
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![]() 復元 五十間長屋、橋爪門続櫓、菱櫓 |
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金沢城は、中世末期に一向一揆の拠点として尾山御坊が置かれたのをはじまりとし、天正8年(1580)には佐久間盛政が尾山城として整備しました。その後天正11年(1583)前田利家が入城して金沢城と改め、本格的な近世城郭として構築されました。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
鳥越城 続100名城(最終訪城日:平成18年5月14日) |
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![]() 復元 本丸門 |
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鳥越城は織田信長の攻撃に最後まで抵抗した白山山麓一向一揆の拠点となった城跡です。手取川とその支流大日川に挟まれ標高312mの丘陵上に築かれた山城で本丸・二の丸・三の丸・後三の丸と5つの郭、3つの腰郭によって構成されています。天正8年(1580)閏3月、石山合戦は織田信長に屈伏した本願寺顕如の石山退城をもって終止符を打ちますが、北陸方面の一向一揆はその後も織田軍に抵抗し、柴田勝家との間に戦闘が行われました。その間、金沢御坊は4月に落城し、11月には鳥越城も落城しました。 『鳥越一向一揆歴史館パンフレットより本文抜粋』 |