新潟県の百名城・続百名城
新発田城 100名城(最終訪城日:平成25年11月17日) |
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復元 御三階櫓 |
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新発田城は慶長3年(1598)に越後蒲原郡6万石の領主として加賀大聖寺から移封された溝口秀勝が、上杉景勝と戦い落城した新発田重家の城跡を取り入れて築いたもので、版籍奉還まで約270年間、外様大名溝口氏の居城となってきました。菖蒲城、船形城、狐の尾引城などとも呼ばれ、江戸末期には事実上の天守閣である三階櫓や大手門をはじめとして櫓が11、主な門が5棟ありました。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
春日山城 100名城(最終訪城日:平成20年4月28日) |
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本丸跡 |
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頸城平野の西北に位置する春日山上にあって、上杉謙信の居城です。この山上に本丸を構え、二の丸・三の丸をその下に配し、土塁や濠を重ねて近隣に権威を示していました。頂上は蜂ヶ峰と称し、眺望に富、付近の属城を十分に監視することができました。本丸跡の後方の一段低い所に大井戸があり、夏でも水の枯れることがなく、その北方に毘沙門丸及び御花畑がありました。また西方には鐘撞堂や景勝屋敷跡等があり、南方の二の丸・三の丸方面には家臣の屋敷跡がありました。規模は極めて雄大です。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
村上城 続100名城(最終訪城日:平成25年11月17日) |
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本丸出櫓跡 |
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村上城は室町時代以来この地方の地頭本庄氏の根拠地でしたが、慶長3年(1598)国替えでこの地に入った村上頼勝が大改造を加え、その後、堀直竒、松平直矩によって本格的に築造され、三層の天守がその偉容を誇っていました。天守は寛文7年(1667)に落雷によって焼失し、以後、建立されませんでした。別名、舞鶴城とも呼ばれました。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
高田城 続100名城(最終訪城日:平成20年4月27日) |
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復興 三重櫓 |
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松平忠輝は入封3年後の慶長18年(1613)に新城の計画を立て、翌慶長19年(1614)国役普請として築城に着手しました。普請には13の大名が任命され、総裁には忠輝の舅伊達政宗が就任しました。他には上杉景勝、前田利常、蒲生秀行、最上家親などの大藩が任命されました。外堀を含めると60haを優に超える城郭が、約4カ月で出来上がった背景には、大坂の陣を控えて、加賀の前田氏、出羽の上杉氏など豊臣の重臣を牽制し、江戸の背後を固めたものといわれています。 『高田城三重櫓パンフレットより本文抜粋』 |
鮫ヶ尾城 未訪城 続100名城(最終訪城日:) |
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