富山県の百名城・続百名城
高岡城 100名城(最終訪城日:平成21年7月28日) |
|
|||||
本丸跡 |
|
|||||
慶長3年(1598)、前田利家の後をついて加越能三国の太守となった前田家2代の藩主利長は慶長10年、封を利常に譲り富山状に隠退したが、慶長14年3月同城は火災にかかり新たに高岡城を築城して町づくりをおこなった。設計はキリシタン大名高山右近が行い、約半年後、入城した。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
富山城 続100名城(最終訪城日:令和2年6月20日) |
|
|||||
模擬 天守(郷土資料館) |
|
|||||
富山城は天正9年(1581)、上杉氏に対する備えとして佐々成政によって近世城郭へと改修された。しかし成政が豊臣秀吉に敗れると富山城も廃城となる。のちに加賀藩の支藩として富山藩が成立するとその居城となった。 『日本の城 山川出版社 2009 より本文抜粋』 |
増山城 続100名城(最終訪城日:平成23年5月5日) |
|
|||||
二の郭と安室屋敷跡間の大堀切跡 |
|
|||||
増山城は砺波平野東部の和田川右岸にあり、射水郡、婦負郡、砺波郡の郡界に位置する。魚津市の松倉城、高岡市の守山城と並び越中三大山城のひとつと称される。室町時代には越中守護代神保氏の主要な居城であったが、天正9年(1581)、織田勢の攻撃を受け焼き払われた。その後、織田氏のもと越中を平定した佐々成政の西部拠点として大規模な整備、修築が図られた。天正13年(1585)以降、前田氏の支配下で重臣中川光重が城主となり城を守ったが、元和の一国一城令が施行された17世紀初めころ廃城になった。 『現地案内看板より本文抜粋』 |