福岡県の百名城・続百名城
大野城 100名城(最終訪城日:平成19年12月29日) |
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百間石垣跡 |
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今から約1300年前天智天皇2年(663)百済救援のため朝鮮半島に出兵した日本軍は白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した翌年に敵の侵攻に備えて防人と烽を置き水城を築き、さらに665年には百済から亡命貴族の指導により大野城や基肄城、長門城を築きました。大野城は大野山全体を城とする雄大な構えの朝鮮式山城で、山の稜線に沿って土塁を廻らし谷には石垣を築き、その内側に倉庫等の建物を設け、太宰府が危急の場合に逃げ込み長期間籠城防戦できる仕組みになっています。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
福岡城 未訪城 100名城(最終訪城日:) |
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水城 続100名城(最終訪城日:平成19年12月29日) |
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大野城址より水城を遠望 |
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水城は664年に築造された土塁で、663年白村江の戦いで敗北後、大野城や基肄城などと共に築造された防衛施設です。土塁は国分側の丘陵と住宅街になっている吉松丘陵との1.2kmを塞ぐように造られた人口の盛土です。土塁は大きく2段に造られ、幅77mの平坦な土塁(下成土塁)の上に、幅23m、高さ5mの台形状の土塁(上成土塁)が造られています。土塁を挟んで博多側には幅60mの外濠があったとされ、太宰府側には内濠があったと考えられています。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
小倉城 未訪城 続100名城(最終訪城日:) |
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久留米城 未訪城 続100名城(最終訪城日:) |
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