熊本県の百名城・続百名城
熊本城 100名城(最終訪城日:平成22年12月27日) |
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復興 大天守と小天守 |
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日本三名城の一つ熊本城は別名銀杏城とも呼ばれ名勝加藤清正によって、慶長6年(1601)に着工され、7年の歳月をかけ築城されました。熊本城は豊臣秀吉の九州統一により、その家臣加藤清正が熊本統治の拠点として築城したもので、城下町の整備や優れた治山、治水、産業の振興など、今日の熊本の基礎を築きました。しかし加藤家の治世は徳川氏の忌避にふれ2代44年しか続きませんでした。その後、豊前小倉より細川忠利が封ぜられ、11代239年の間、細川家の居城として続きました。 『熊本城パンフレットより本文抜粋』 |
人吉城 100名城(最終訪城日:平成26年10月20日) |
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復元 隅櫓と多門櫓 |
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人吉城は、もともと平氏の代官がいた城でしたが、人吉荘の地頭となった相良長頼が、建久9年(1198)に城主となり、翌年より修築したと伝えられています。その修築の時、三日月の文様のある石が出土したので、別名を三日月城、繊月城とも言います。人吉城が石垣造りの近世城として整備されるのは天正17年(1589)からで、何度か中断をしながらも、51年後の寛永16年(1639)に現在みられる石垣が完成しています。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
八代城 続100名城(最終訪城日:平成26年10月19日) |
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大天守跡と小天守跡 |
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八代城は、元和5年(1619)の地震により、麦島城が崩壊したため、熊本藩主加藤忠広が幕府の許可を得て、重臣の加藤正方に命じて、築城した平城で、元和8年(1622)に完成しました。石垣に白い石灰岩を用いていることから、白鷺城とも呼ばれています。一国一城令の後も存続が許された全国的にも珍しい城で、加藤家の改易後は、寛永9年(1632)細川忠利の父忠興(三斎)が入城し、三斎没後の正保3年(1646)、家老松井興長が入城し、以後明治まで松井氏が代々在城しました。 『現地案内より本文抜粋』 |
鞠智城 未訪城 続100名城(最終訪城日:) |
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