長崎県の百名城・続百名城
島原城 100名城(最終訪城日:平成24年12月27日) |
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復興 天守と巽三重櫓 |
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島原城は五条(奈良県)から入封した松倉重政が築きました。元和4年(1618)着工、4〜7年の歳月を経て完成、同時に城下町も整備したといいます。破風を持たない層塔型総塗込の五層の天守閣を据える本丸、北へ二の丸と三の丸を配置して、要所を三重櫓で固め、外堀は4kmに亘り矢狭間をもつ漆塀で取り囲みました。以来、松倉氏、高力氏、松平氏、戸田氏、再び松平氏と四氏19代の居城として輝きました。その間、寛永14年(1637)島原の乱では一揆軍の猛攻をしのぎ、寛政4年(1792)島原大変時には打ち続く地震と足下を洗う大津波にも耐えてきました。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
平戸城 未訪城 100名城(最終訪城日:) |
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原城 続100名城(最終訪城日:平成24年12月27日) |
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本丸櫓台跡の石垣 |
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原城は明応5年(1496)、領主有馬貴純が築城したものといわれ、別名「日暮城」と呼ばれています。城は県下最大の平山城で周囲3km、41万uの規模を持ち、有明海に面して南東に突出した岬を利用した要害です。慶長19年(1614)、島原藩主有馬直純は日向国県城に転封され、元和2年(1616)松倉重政が大和五条から入部しました。松倉氏は一国一城令により原城を廃城とし、元和4年(1618)からの島原城の築城にあたり、構築用の石材として、この城の石垣等を運んだものと見られています。松倉氏の藩政は、領民へ過酷な賦役と重税を課し、キリシタン弾圧など厳しく行ったため、寛永14年(1637)10月25日に天草四郎時貞を盟主として島原の乱が起こりました。原城は同年12月3日から寛永15年2月28日まで、領民約3万7千人が88日間立てこもった終焉の地です。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
金田城 未訪城 続100名城(最終訪城日:) |
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福江城 未訪城 続100名城(最終訪城日:) |
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