大分県の百名城・続百名城

大分城
100名城(最終訪城日:平成23年12月27日)
 
■所在地:大分県大分市荷揚町 ■築城年:慶長2年(1597)
■別  名:府内城、荷揚城、白雉城 ■築城主:福原直高

現存 本丸跡の人質櫓

現存 西丸跡の宗門櫓

復興 東丸跡の着到櫓
府内城は慶長2年(1597)、福原直高により築城が始められ、2年後には一部が完成しましたが、直高の領地没収によって中断、これに代った早川長敏も慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍に加担して取り潰されました。翌年、竹中重利が入封築城工事を再開、石垣の築造には熊本藩の加藤清正の援助を受けるなどして、慶長7年(1602)四重の天守閣がそびえる城郭が完成しました。 『現地案内看板より本文抜粋』

岡城
100名城(最終訪城日:平成23年12月29日)
 
■所在地:大分県竹田市竹田 ■築城年:13世紀?
■別  名:臥牛城、豊後竹田城 ■築城主:志賀氏

三の丸跡の高石垣

大手門跡

下原門跡
現存する岡城は、文禄3年(1594)中川氏が播州三木から入部して普請されたものである。城の造営は、初代藩主中川秀成により始められ、天神山を本丸とし、以前の大手であった下原口を搦手に、西南側に大手口を、北西側に新たに近戸口を切り開き、3つの門が出入口となった。城の曲輪は、東から御廟の曲輪、東西の中仕切りの間に本丸・二の丸・三の丸の曲輪、さらに西側に西の丸の曲輪が設けられた。西の丸は寛文4年(1664)に、三代藩主中川久清により隠居所として、御殿の普請が完成している。 『現地案内看板より本文抜粋』

臼杵城
続100名城(最終訪城日:平成23年12月28日)
 
■所在地:大分県臼杵市臼杵 ■築城年:弘治2年(1556)
■別  名:丹生島城 ■築城主:大友宗麟

現存 二の丸大門櫓と畳櫓

現存 卯寅口門脇櫓跡

本丸櫓台跡と空堀
臼杵城は弘治2年(1556)、大友宗麟によって建てられた城です。臼杵城が築かれた丹生島は、文字通り元々は臼杵湾に浮かぶ島でした。守りの堅いその地の利を生かして、この地を城郭にしたと考えられます。大友氏改易後は、福原直高、太田一吉と城主が替わり、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、稲葉氏が臼杵藩主として、臼杵城に入ります。以後明治維新まで臼杵藩は稲葉氏によって支配されました。 『現地案内より本文抜粋』

佐伯城
続100名城(最終訪城日:平成23年12月28日)
 
■所在地:大分県佐伯市城山 ■築城年:慶長7年(1602)
■別  名:鶴屋城、鶴ヶ城 ■築城主:毛利高政

現存 三の丸 御殿櫓門

本丸天守台跡

二の丸跡の石垣
関ヶ原合戦によって佐伯に移された毛利高政は八幡山の山頂に居城を築いた。関ヶ原合戦後の新規築城で『山城が築かれたのは極めて珍しいことである。毛利氏は一度の転封もなく、12代続いて明治維新を迎えました。非常に狭い山頂部に本丸、二の丸、西出丸、北出丸をほぼ一直線上に配置する連郭式縄張で、寛永14年(1637)には南東山麓に三の丸が増築され、三の丸御殿が造営され、以後の藩政の中心となった。 『「山川MOOK 日本の城 2009年 山川出版社」 より本文抜粋』

中津城  未訪城
続100名城(最終訪城日:)
 
■所在地: ■築城年:
■別  名: ■築城主:

角牟礼城  未訪城
続100名城(最終訪城日:)
 
■所在地: ■築城年:
■別  名: ■築城主:

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