香川県の百名城・続百名城
高松城 100名城(最終訪城日:平成17年11月19日) |
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現存 月見櫓 |
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高松城は、天正15年(1587)豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が翌16年(1588)に工を起し、約3年の歳月を費やし天正18年(1590)に完成したが、その縄張は黒田孝高がしたとされている。高松城は全国にも珍しい水際城(水城)の跡である。生駒家が4代54年と、寛永19年(1642)常陸国下館から松平頼重(水戸光圀の兄)が封ぜられて以来明治に至るまでの松平家11代228年の居城として、讃岐の政治、経済、文化の中心地となったところである。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
丸亀城 続100名城(最終訪城日:平成17年11月20日) |
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現存 天守 |
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亀山城または蓬莱城ともいわれ、市内の亀山に生駒氏によって築かれたものである。生駒親正は天正15年(1587)播州赤穂から17万6千石の領主として讃岐に入り、高松城を築き、次いで西讃の鎮めとして慶長2年(1597)から丸亀城の築城にかかり、同7年(1602)に完成したが、その後一国一城令により廃城となった。生駒家四代の後、肥前国天草郡富岡城主から寛永18年(1641)入城した山崎家治が翌年から修築に取りかかり、現代の城郭はほぼこの時代のものである。 『丸亀城入場券裏面より本文抜粋』 |
引田城 続100名城(最終訪城日:平成27年12月27日) |
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北の郭跡の石垣 |
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引田城に関わる記述が見えるのは、江戸時代編纂の軍記物語『南海通記』にある応仁年間(1467〜69)に寒川氏が領したとあるのが初見です。戦国時代には阿波三好氏との攻防があり、引田城の城主は四宮氏、矢野氏など何度も変わりました。戦国時代の終わりごろの天正15年(1587)に、播磨国赤穂から豊臣秀吉の家臣である生駒親正が讃岐国を始めることとなりました。生駒氏は讃岐国支配の拠点とする高松城と並行して、慶長年間(1569〜1615)に西讃地方の支城として丸亀城、東讃地方として引田城を築きました。 『現地案内看板より本文抜粋』 |