高知の百名城・続百名城

高知城
100名城(最終訪城日:平成20年11月15日)
 
■所在地:高知県高知市丸之内 ■築城年:慶長6年(1601)
■別  名:鷹城 ■築城主:山内一豊

現存 天守と本丸御殿

現存 大手門

現存 詰門
高知城はもと大高坂城といい、南北朝時代には大高坂松王丸がここに砦を築いて南朝方に味方して戦った記録があります。戦国時代の天正16年(1588)、土佐の国主であった長宗我部元親がここに築城して、岡豊城から移りましたが、城下が低湿地のため水難に悩まされ、3年程で浦戸に移りました。現在の城郭は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功績を認められて、土佐の初代藩主となった山内一豊によって慶長6年(1601)から築城され、2年後には主要部分が完成しましたが、全体の完成には10年を要しました。享保12年(1727)追手門など一部を残して焼失し、宝暦3年(1753)になって元の姿に再建されました。 『現地案内看板より本文抜粋』

岡豊城
続100名城(最終訪城日:平成20年11月16日)
 
■所在地:高知県南国市岡豊町八幡 ■築城年:15世紀
■別  名: ■築城主:長宗我部氏

詰(本丸)跡

三ノ段跡の土塁

伝 厩床曲輪跡
岡豊城跡は、四国を平定した長宗我部氏の居城として知られる中世の城跡です。長宗我部氏は鎌倉時代に地頭として土佐へ入国したと伝えられており、それ以後、長岡郡を中心に勢力を拡げ、戦国大名へと成長していきました。16世紀初頭に一度落城したと伝えれれており、その後、国親により永正13年(1516)年に再興され、天正16年(1588)に元親が大高坂城(現在の高知城)へ移転するまでの、約70年間にわたり居城として使われていたといわれています。 『現地案内看板より本文抜粋』

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