青森県の百名城・続百名城
弘前城 100名城(最終訪城日:平成24年8月23日) |
|
|||||
現存 弘前城天守閣 |
|
|||||
弘前城は津軽を統一した津軽為信が計画し、2代藩主信枚が慶長16年(1611)に完成させた。当初の天守は5層で本丸西南隅に構築されていたが、築城から16年後の寛永4年(1627)に落雷により焼失した。現在の天守は、江戸時代末期の文化7年(1810)に9代藩主寧親により、本丸辰巳櫓を解体新造したものである。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
根城 100名城(最終訪城日:平成24年8月25日) |
|
|||||
復元 本丸主殿 |
|
|||||
根城は、建武元年(1334)に南部師行によって築城されたと伝えられます。南部氏は甲斐国に拠点を置いた有力な鎌倉御家人であり、南北朝時代には北畠顕家に従い奥州における南朝方の中心的な存在として活躍し、その勢力は現在の秋田県比内・鹿角地方、岩手県閉伊・遠野地方にまで及びました。秀吉の時代、根城南部氏は同族の盛岡南部氏の家臣格となり、やがて寛永4年(1627)、遠野へ領地替えになります。これにより、根城は城としての役割を終えました。 『史跡根城の広場パンフレットより本文抜粋』 |
浪岡城 続100名城(最終訪城日:平成24年8月23日) |
|
|||||
東館と北館間の空堀跡 |
|
|||||
波岡城跡は、浪岡川の扇状地丘陵上に造られた戦国時代の城館です。新館・東館・猿楽館・北館・内館・西館・検校館・無名の館という名称の館が連立し、その間に幅20mほどの堀や土塁があります。15世紀中頃に浪岡北畠家が築城したとされていますが、それ以前から館として使用され浪岡北畠氏が現在みられる城館に拡張していったものと思われます。 『現地案内看板より本文抜粋』 |