宮城県の百名城・続百名城
仙台城 100名城(最終訪城日:平成25年8月8日) |
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![]() 復元 大手隅櫓 |
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仙台城は初め千体城、後に千代城と称し、鎌倉時代末から室町時代の中頃にかけて島津氏が陸奥守として居城したといい、室町時代末には国分氏が一時居城したと伝えられています。伊達政宗が自然林と断崖と川に囲まれた天然の要害青葉山に築城を開始したのは関ヶ原合戦直後、慶長5年(1600)のことである。この時、地名は千代から仙台に改められました。二代忠宗は寛永15年(1638)二の丸を造営、その後も整備拡充と被災を繰り返しながら幕末に至りました。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
多賀城 100名城(最終訪城日:平成25年8月10日) |
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![]() 正殿跡 |
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今からおよそ1300年前、奈良時代前半に陸奥国の国府として創建された多賀城は、鎮守府としての役割も果たしていました。周囲に塀(主に築地土塀)をめぐらし、その痕跡は現在でも土手状の高まりとして残っています。平面形は不整方形をなし、広さはほぼ方八町に相当します。そのほぼ中央部に重要な政務や儀式が行われた政庁がありました。 『現地案内看板より本文抜粋』 |
白石城 続100名城(最終訪城日:令和6年10月13日) |
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![]() 復元 三重櫓 |
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天正19年(1591)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は城下町を含む城郭、白石城を築城し城主となった。慶長3年(1598)上杉領となってから上杉氏家臣甘糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。慶長5年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣である片倉小十郎が大改修を行い、以後明治維新まで260余年間片倉氏の居城となった。 『現地案内看板より本文抜粋』 |