阿寺城(あでら) 武田軍との激闘の末に落城

【阿寺城南側の三重堀切跡の一部】
■場所:中津川市手賀野斧戸
■主な城主:遠山友忠、遠山友重など
■別名:阿照羅城、中津川城、ヨキト城、斧戸城
■形式:山城
■築城年:不明
■城遺構:曲輪・空堀・竪堀・堀切・土塁・石垣・土橋・虎口
■標高:560m
■比高:100m

阿寺城を居城とした阿寺遠山氏は遠山七頭のひとつです。武田氏侵攻の際には、苗木城主となった遠山友忠の次男、友重が守っていました。武田軍の猛攻をよく防ぎましたが、水の手を断たれたことで落城し、友重は自刃したといわれています。苗木城にも近く、遠山氏の城郭の中でも重要な軍事拠点として重視されていたようです。尾根上に設けられた曲輪を堀切で3つに区画しており、最上段の曲輪には現在、御嶽神社が鎮座しています。御嶽神社の背後には驚くべきことに3重堀切が良好な状態で現存しています。このことからも阿寺城がただの支城ではなく、重要な拠点として機能していたことが窺い知れます。


【主郭南側に鎮座する御嶽神社】

【主郭跡】

【堀切跡(三重堀切の一部)】

【堀切と土橋跡】

【北側の虎口跡】

【土塁跡】

<阿寺城へのアクセス>
中津川市内の国道19号線手賀野交差点を多治見方面から見て右折(南進)し、そのまま2km弱の道のりを直進(途中の分岐は左側の道を選択)、手賀野配水池をめざします。因みに私は手賀野配水地入口付近の路肩スペースに車を止めさせてもらいました。手賀野配水池入口から40m程戻った地点に東側へ分岐する道があるので、その道の突き当りを右に折れ直進すると手賀野配水池の裏側に出ることができます。配水池を越えたところにある沢を渡ると御嶽神社登り口の案内があり、ここが登城口となっています。他にも国道363号からの登城道があるようですが、配水池から辿る方が道がわかり易いとのことです。