顔戸城(ごうど) 守護代斉藤妙椿の居館跡とも

【顔戸城の空堀跡】
【歴 史】応仁の乱(1467〜77)の頃、室町幕府の被官として中央の政権をも揺るがすと言われた美濃守護代斎藤妙椿が顔戸の地に東・西・北の三方に戦いに備えるための豪壮な空堀と土塁を設け、南は可児川の自然の流れを防御手段に利用した平城である顔戸城を築城し東美濃の守りの拠点としました。城の規模は東西約150m、南北約167mの規模を有し、空堀と高く盛られた土塁に囲まれた内側に館を構えた平坦面があり、豪壮な中世平城の姿を今に伝え「構」と呼ばれ、東美濃でも有数の平城として名を馳せています。
顔戸城は山城ばかりの東濃では珍しく平城となっています。岐阜県全体で見ても中世の平城として今日まではっきりと形態を保っているのは顔戸城くらいではないかと思います。木々が茂っているため写真では大規模な堀と豪壮な土塁がわかりにくいですが、現地に実際出向くとその壮大さが理解できます。さすが斎藤妙椿の隠居城と言われるだけのことはあります。

■場所:可児郡御嵩町顔戸 ■築城主:斎藤妙椿
■別名: ■城形式:平城
■築城年:不明 ■城遺構:曲輪、空堀、土塁、櫓台、虎口
■標高:120m ■標高:0m


【顔戸城の土塁跡】

【顔戸城址碑】

<顔戸城へのアクセス>
可児市内で国道21号線上恵土本郷西交差点を美濃加茂方面から見て左折し旧国道21号線(中山道)に入ります。車で5分程走ると顔戸交差点がありますので、この信号を左折し50m程進むと左側に城址碑があります。城址碑の裏側が土塁となっています。駐車場は付近にありませんので、路肩に路駐しました。