飯羽間城(いいばま) 飯羽間遠山氏の居城

【飯羽間城址遠望】
■場所:恵那市岩村町飯羽間
■主な城主:遠山友勝、遠山友忠、遠山友信など
■別名:飯狭城
■形式:平山城
■築城年:室町時代か
■城遺構:曲輪・土塁
■標高:530m
■比高:20m

飯羽間城は岩村城の北西に位置する遠山十八城のひとつであり、城主は岩村・阿照・明知・串原・苗木・安木と並んで遠山七頭と呼ばれていました。十八城の中でも特に飯羽間城は岩村本城に最も近かったため重要な支城でした。天正2年(1574)の武田勝頼による東濃侵攻の際は、苗木城主遠山友忠の子である友信が城主でしたが、激戦の末、他の支城と同じく攻略されました。しかし天正三年(1575)には織田信忠を総大将とする織田勢が武田勢を駆逐、飯羽間城は再び織田方の城となりました。そしてまもなく飯羽間城は廃城という形になります。2022年現在の城址は、群生していた竹林が伐採され、遠方からでも郭跡や切岸の様子がよく確認できるようになりました。


【主郭跡】

【主郭跡の切岸(登城口)】

【主郭下段の郭群】

<飯羽間城へのアクセス>
恵那市岩村町内の国道257号線中切の信号交差点を恵那市街地方面から見て右折し、県道406号線に入ります。2kmほど直進すると右側に飯羽間城址の大きな看板が見えてきます。看板が設置されている小山が飯羽間城址です。登り口は飯羽間城の小山を右手に見ながら、前方の左カーブの途中にある田んぼに挟まれた小道を直進し、50m程進むと右方向に入っていく道がありますので、その先に登城口があります。駐車スペースはありませんので、邪魔にならない路肩などに止めることになります。