飯羽間城(いいばま) 飯羽間遠山氏の居城

【飯羽間城址遠望】
【歴 史】飯羽間城は岩村城の北西に位置する遠山十八城のひとつであり、城主は岩村・阿照・明知・串原・苗木・安木と並んで遠山七頭と呼ばれていました。十八城の中でも特に飯羽間城は岩村本城に最も近かったため重要な支城でした。天正2年(1574)の武田勝頼による東濃侵攻の際は、苗木城主遠山友忠の子である友信が城主でしたが、激戦の末、他の支城と同じく攻略されました。しかし天正三年(1575)には織田信忠を総大将とする織田勢が武田勢を駆逐、飯羽間城は再び織田方の城となりました。そしてまもなく飯羽間城は廃城という形になります。現在の城址には竹が群生しており登城するのには少々難があるかもしれません。本丸址には武田の足軽雑兵が唄ったと云われる「信長はいまみあてらやいひはざま 城をあけちとつげのくし原」と書かれた碑も立てられています。

■場所:恵那市岩村町飯羽間 ■築城主:遠山氏
■別名:飯狭城 ■城形式:平山城
■築城年:鎌倉時代末期か? ■城遺構:曲輪・堀切・井戸
■標高:530m ■比高:20m


【飯羽間城本曲輪跡】

【飯羽間城登城口】

<飯羽間城へのアクセス>
恵那市岩村町内の国道257号線中切の信号交差点を恵那市街地方面から見て右折し、県道406号線に入ります。2kmほど直進すると右側に飯羽間城址の大きな看板が見えてきます。看板が設置されている小山が飯羽間城址です。登り口は飯羽間城の小山を右手に見ながら、前方の左カーブの途中にある田んぼに挟まれた小道を直進し、50m程進むと右方向に入っていく道がありますので、その先に登城口があります。駐車スペースはありませんので、邪魔にならない路肩に止めることになります。