今城(いま) 可児郡の土豪小池氏の城

【登城口の城址碑】
■場所:可児市今
■主な城主:小池家継など
■別名:
■形式:山城
■築城年:天文年間(1532〜1555)
■城遺構:曲輪・空堀・堀切・土塁・土橋
■標高:160m
■比高:20m

今城は、天文年間(1532〜1555)に、小池家継が築城したといわれている。比較的規模の小さい山城であり、土塁に囲まれた曲輪がほとんど破壊されずに残っている。永禄8年(1565)に中濃を平定した織田信長は、森可成を金山城主とし東美濃の旗頭とした。小池氏は可児市南西部を支配していた地方豪族であったが、この時期に信長に帰順し、森氏の家臣になったとされる。天正10年(1582)に信長が本能寺の変において討たれると、それまで森氏に従っていた東濃の武将たちはこぞって反旗を翻し、小池氏も同様に反抗したが、森長可に鎮圧され、長可の命により今城を立ち退き、帰農したといわれている。『本文は現地案内看板を参照』
現在、今城は地元の方の努力により、木々等が伐採され、開放的で明るい城址公園へと変貌しています。城址内には史跡表示や説明看板なども立てられており、可児市の城址の中では手軽に見学できる城址となっています。


【伝 三の丸跡】

【伝 本丸跡】

【桝形虎口跡】

【伝 二の丸跡】

【本丸跡の喰違い土塁跡】

【本丸と二の丸間の空堀跡】

<今城へのアクセス>
可児市方面から多治見市方面へ抜ける国道248号線「姫が丘4」の信号交差点を過ぎると、本線から外れて左側に降りていく分岐があります。この分岐を左側に降り、突き当りを右折します。次の「今」信号交差点を右折し450m程進むと、左側に「今城址」の案内看板が見えてきます。ここを左折した先に今公民館があるのでここに車を駐車させてもらいます。徒歩でいま来た道をさらに直進すると今城址の案内看板があるので、ここを左折し進むと「今老人憩いの家」が見えてきます。建物の左側から奥に伸びる道を進むと今城址の登城口があります。
または「今」信号交差点を右折せずに直進すると「この先行き止まり」と今城址入口の看板があるので、この細い道を右折します。100m程進むと左側に「今老人憩いの家」の建物があり、車は老人憩いの家の前に3台くらい止められる駐車スペースがあります。