久々利城(くくり) 土岐三河守代々の居城

【伝 三の丸(二の丸と本丸を遠望)】
■場所:可児市久々利
■主な城主:土岐三河守悪五郎(土岐久々利氏)
■別名:
■形式:山城
■築城年:応永年間(1410)頃
■城遺構:曲輪、横堀、堀切、土塁、石積、櫓台、土橋、竪堀、井戸
■標高:190m
■比高:50m

土岐三河守悪五郎の築城と言われていますが築城年代は不詳です。遺構は山腹より数段の曲輪を断続的に設け、土塁・空堀などで要所を備えた室町期の典型的な中世山城です。土岐三河守悪五郎は、三代美濃守護土岐頼康の弟康定を初代とし、代々土岐三河守悪五郎を襲名していましたが、天正11年(1583)秀吉と結んだ金山城主森長可により落城してしまいました。土岐久々利家は数代二百余年続き、三千貫文を領していたようです。久々利の地はその後、関ヶ原合戦の功により信濃木曾衆であった千村氏が拝領、麓に陣屋を築き旗本として存続しました。『現地案内看板より本文抜粋』
久々利城は可児市の中でも特に歴史深い久々利地区にある城址です。斎藤道三の猶子であり、当時この地域の有力者であった金山城主の斎藤大納言正義が土岐三河守悪五郎に謀殺されたとされるのがこの久々利城です。広い曲輪が3段に渡って連なる様が久々利城の特徴です。現在は麓の千村氏陣屋跡に可児市郷土歴史館が建てられています。


【伝 本丸跡】

【伝 二の丸跡】

【伝 本丸へ続く土橋跡】

【伝 東出丸跡】

【伝 物見曲輪跡】

【二重堀切跡】

【井戸跡と桝形状の曲輪】

【虎口と土塁跡】

【久々利陣屋跡(千村氏屋敷跡)】

<久々利城へのアクセス>
東海環状自動車道の五斗蒔スマートインター出入口から県道84号線を可児方面に左折し、6km程進むと可児市郷土歴史館があります。県道84号線を挟んだ可児市郷土歴史館の向かい側(20m程手前)に久々利城の石碑があり、ここが登城口となっています。車の場合は可児市郷土歴史館の駐車場が利用できそうです。さらにここから300m程西に進んだ東禅寺に続く道を右折して、道なりに200m程進んだところにも登城口が整備されています。