馬籠城 (まごめ) 木曽路の入口にある城址

【馬籠城址の説明看板】
【歴 史】文献には今から五百年ほど前の室町時代から「馬籠城(砦)」があったことが記されています。遠山十八城のひとつとも云われる馬籠城は戦国時代には武田の領地となりますが、武田滅亡後、織田信長の時代を経て豊臣秀吉傘下の木曽義昌の治めるところとなります。天正12年の小牧合戦の折、秀吉は徳川勢の攻め上がることを防ぐため、木曽義昌に木曽路防衛を命じました。義昌は兵三百を送って山村良勝に妻籠城を、島崎重通に馬籠城を守らせますが、家康の命を受けた信濃勢が妻籠城に攻め入ったことに恐れをなした島崎重通は夜陰に紛れて逃れたため、馬籠の集落は戦火から免れることができたと云われています。関ヶ原の戦いで天下を制した家康は、馬籠を直轄地としていましたが、元和元年、尾張徳川義直の領地となり、以後戦火のないまま馬籠城は姿を消しました。平成の大合併により平成17年2月より長野県山口村から岐阜県中津川市に越県合併し、東濃の仲間入りをしました。

■場所:中津川市馬籠 ■築城主:遠山氏か
■別名: ■城形式:山城
■築城年:不明 ■城遺構:曲輪

<馬籠城へのアクセス>
観光名所である中山道馬籠宿の麓側にある物産館(馬籠館)の脇から案内表示に従い、旧中山道「落合の石畳」の方向(馬籠宿場町の反対方向の道)に進みます。まっすぐ500m程を直進すると右側に馬籠城の案内看板があり、看板の後ろの藪が馬籠城址となります。付近に駐車スペースはありませんので、馬籠宿から徒歩で訪れることをお勧めします。