美濃高山城(みのたかやま) 下街道を押さえる城

【高山城の主郭跡】
■場所:土岐市土岐津町高山
■主な城主:高山伊賀守秀頼、平井頼母など
■別名:
■形式:山城
■築城年:建武5年(1338)頃か
■城遺構:曲輪
■標高:180m
■比高:50m

高山城は土岐川沿いの小山に築かれた東濃西部における重要な軍事拠点です。初代高山伊賀守秀頼が暦応の頃、現在の城山に高山砦を築いたのが始まりと云われています。高山氏の後を継いだ平井氏の時に織田信長の命により武田軍への備えとして要害堅固な城となりました。本能寺の変後、森長可の東濃侵攻に際し高山城主平井頼母は戦わずして降伏、その後、関ヶ原合戦を経て一国一城令により高山城は廃城となりました。現地の案内看板や甲陽軍艦によると高山城は室町期に武田軍に攻められ落城したと記述されていますが、実際に現在の土岐市まで武田軍の侵攻があったのかは少々疑問が残ります。また城址は昭和31年(1956)の市文化財指定後になぜか城山水道貯水池となってしまったため、曲輪の形以外痕跡をとどめるものはありません。しかし現在は地元の方の熱心な整備により、主郭跡に城郭風の見晴らし台と東屋が建てられています。


【伝 堀切跡】

【三の曲輪跡】

【主郭への入口】

【二の曲輪跡】

【主郭の井戸跡】

【主郭からの眺望】

<美濃高山城へのアクセス>
中央自動車道土岐インターの出入口(国道21号線)を右折、途中に土岐川を挟んで南に1.5km程進んだ「浅野朝日町」の信号交差点を右折し、県道69号線に入ります。650m程進んだ「高山」の信号交差点を左折し道なりに進むと、左側に高山区民会館がある十字路(高山城の案内表示有り)に出ます。ここを左折し、次の分岐(高山城の案内表示有り)を左側にさらに進んでいくと、左斜め後方に登っていく道(高山城案内表示有り)が現れます。この道を登ったところが高山城址であり、説明看板が立っています。駐車スペースはあります。