明智長山城(あけちながやま) 明智庄を治める土岐明智氏の居城か

【明智長山城址 伝 本丸跡】
■場所:可児市瀬田
■主な城主:土岐頼兼など
■別名:明智城
■形式:山城
■築城年:康永元年(1342)
■城遺構:曲輪
■標高:130m
■比高:20m

明智城は周囲に土塁や逆茂木を廻らせた中世の典型的な山塞であり、康永元年(1342)から215年間、明智氏の居城だったといわれている城址です。弘治2年(1556)斎藤義龍に攻略され壊滅したと伝えられています。明智光秀ゆかりの城郭として地元では知られています。城内にはいくつか郭の名称が表示されていますが、2003年に発行された『岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集』によれば、人工的な遺構ではなく自然地形であると記載されています。しかし近年、地元住民や企業、行政が一体となった可児市内の山城整備の動きに伴い、明智城もかなり整備され、搦手口方面では幾つかの城郭遺構を目視でも確認することができるようになっています。城山の麓には、明智家の菩提寺である天龍寺があり、歴代明智家の墓石を見ることができます。落城以降、再度、城として使われた史実もないため、現在記されている郭の表記がどれだけ正しいかわかりませんが、東美濃における明智庄の歴史を物語る遺構として、また明智光秀の謎多き前半生を辿る遺構として、とても重要な城址であるといえます。


【伝 二の丸跡】

【伝 中の丸跡】

【伝 西の出丸跡】

【伝 馬場跡】

【伝 大手口跡】

【伝 乾曲輪跡の六親眷属幽魂塔】

<明智長山城へのアクセス>
可児市瀬田の天龍寺の近くに専用駐車場があります。東海環状自動車道可児御嵩インターを出て国道21号線を右折し、次の「柿田」の信号交差点を左折、県道381号線に入ります。県道381号線を南進し、1kmほど走ったあたりの信号のない右折丁字路(ぎふローズガーデン西ゲートの手前)に天龍寺の案内看板があるのでここを右折後、300m程進むと再び天龍寺の案内看板があります。案内看板に従って左折し、400m程進むと専用駐車場(10台程度)があります。天龍寺を越した先の細い道をそのまま進みましょう。または21号線「柿田」交差点を左折し、県道381号線を1.5km程南進、ぎふローズガーデン西ゲートを過ぎた次の「羽生ヶ丘1」の信号交差点を右折します(この道を反対方向から来たときには交差点の左側に「史蹟明智城」の案内表示があります)。直進して200m程のところにある「羽生ヶ丘二丁目」のバス停を過ぎたすぐの角を右折後、道なりに400m程進んだ最初の角を右折、少し進むと右斜め後方に登っていく道が現れるので、この道を右折し登っていった突き当りは長山配水池となりますが、長山配水池に至る手前の分岐左側が明智長山城址です。車3台分くらいの駐車スペースはあります。