大森城(おおもり) 奥村氏の居城

【主郭の切岸、空堀と土塁跡】
【歴 史】大森城は中世の山城で、天正十年(1582)六月に金山城主であった森長可の攻撃により落城するまで、奥村又八郎の居城でした。天文初年(1530年代)の可児を中心とする状勢は、蜂屋堂洞城に岸氏、久々利に土岐悪五郎、土田に生駒氏、御嵩に小栗氏などがあり、大森の奥村氏などと群立していました。『現地案内看板より本文抜粋』
なお大森城落去後の奥村又八郎については、落城後に越前へ逃れ、後に前田利家に仕えたと伝えられています。現在の大森城址の一部は大森神社となっており、神社の向かって左手が登城口となっています。城址には保存状態の良い空堀や土塁が確認でき、近隣の地方土豪の城址と比較するとかなり手の込んだ縄張となっています。『岐阜県中世城館跡総合調査報告書第3集 2004年 岐阜県教育委員会発行』では、技巧的な縄張は奥村氏の落城後、金山城主の森氏が金山城南側の押えの拠点として改築した結果として考えられると記されています。

■場所:可児市大森 ■築城主:奥村氏か
■別名: ■城形式:山城
■築城年:不明 ■城遺構:曲輪・横堀・堀切・土塁・櫓台・土橋・虎口
■標高:145m ■比高:20m


【主郭跡】

【主郭下の空堀跡】

【大森城址碑】

【主郭下の出桝形跡】

【W郭下の桝形虎口跡】

【W郭の櫓台状地形】

<大森城へのアクセス>
大森城へ向かうには、可児市大森地区にある大森神社をめざします。美濃加茂市〜可児市〜多治見市へと向かう国道248号線可児バイパス「徳野南」の信号交差点を左折、県道84号線に入り西へと進みます。途中で県道84号線からは外れる形になりますが、道をセンターラインに沿って1.7km程直進していくとJRの踏切を越えますので、さらにその先にある「田白」の信号交差点(あおい書店が目印)も直進します。田白の交差点を過ぎたら次の信号(1.8km程先)を右折し、すぐの十字路を左折、2つ目の角を右折すると、大森神社の参道となりますので、この道の突き当りが大森神社です。神社の前には参拝者用と思われる駐車スペースがあり、大森城址の石碑も設置されています。大森神社跡が大森城跡です。登城口は神社境内の裏側にあります。