天神山城・裏天神山城(てんじん・うらてんじん) 鶴ヶ城の支城的役割か?

【天神山城 主郭跡】
■場所:瑞浪市土岐町鶴城
■主な城主:河尻秀隆や延友氏か
■別名:
■形式:山城
■築城年:天正2年(1574)頃か
■城遺構:曲輪、竪堀、堀切、土塁、櫓台、土橋など
■標高:天神山城 276m、裏天神山城 317m
■比高:天神山城  86m、裏天神山城 126m

この山城は、平成24年9月に各務原在住の熊沢喜三郎氏によって発見され、地山名を採って天神山城、その上部に続く城跡を裏天神山城と命名した。この城は、鶴ヶ城の支城として北東の守りを固める為、天正2年2月(1574)織田信長が武田攻めの折に滞在し、重臣の河尻秀隆に命じ普請させたものと思われる。その時彼は鶴ヶ城の城番として置かれた。天正10年3月(1582)信長が鶴ヶ城に着陣した、武田氏滅亡後廃城になったと思われる。『天神山、裏天神山城跡案内図パンフレットより本文抜粋』
鶴ヶ城のすぐ近くにありながら平成24年(2012)まで発見されていなかったことが不思議なほど、いくつかの堀切や竪堀などの遺構を見ることができます。裏天神山城から尾根続きで鶴ヶ城へとつながっているため、城というよりも鶴ヶ城の拡張部分であると言えるのかもしれません。鶴ヶ城が手狭なため、織田の大軍を迎え入れるための兵站地として、急遽造成された部分なのではないかとも考えます。


【天神山城址 喰違い堀切跡】

【天神山城址 斜め堀切跡】

【天神山城址 大堀切跡】

【両城を隔てる二重堀切跡】

【裏天神山城址 主郭跡】

【裏天神山城址 竪堀跡】

【裏天神山城址 伝 櫓台跡】

【裏天神山城址 斜め堀切跡】

【馬の背道(鶴ヶ城への連絡路)】

<天神山城・裏天神山城へのアクセス>
瑞浪市内国道19号線鶴城の信号交差点を多治見方面から見て左折し、中央自動車道の高架をくぐった突き当りを左折します。170m程進むと左側にカーブミラーがあり、その右側の道を平屋の団地に沿って登っていくと120m程進んだ左側に駐車場があります。駐車場の隣に登城口があります。またはカーブミラーからさらに100mほど直進した右側に諏訪神社があるので、神社前のスペースに車を止め、神社境内を左側に回り込むと、天神山城への登城口があります。